あきらめ時

先月流産した事で、思い知った事がある。

極端に言ってみると。
私は、もう、年寄りだという事。
子供をみごもれない程に、女として老いている、という事。

自分的に、そこまで自虐的に認識しているワケではないけれど、気分的にこれくらいきつい言葉で自分を虐めたくなるまでの落ち込み具合ってコトです。

こないだみた「はじめてのおつかい」。毎年楽しみに見てるんだけどさ。
今回の放送で、3人のお子さんを死産・流産された5人の子持ちのお母さんがでててさ。
5人も子供産める人でも、死産・流産はあり得るんだ、というのが、あらためてショックだったのです。

妊娠を継続できなかった自分の身体にすっかり自信がなくなってしまったし、
このまま不妊治療を続けて、また、妊娠できたとして、健康な子供として産めるのかどうかも
自信がなくなってしまった。

正直、今までは非常に楽観的に、妊娠さえできれば健康な子が産める、なんて考えていたけれど。
そりゃ、高齢出産のリスクについては知っていたけれど、確率論だと思っていた部分もあって、
真剣に考えてはいなかった。
でも、やっぱり、無視できない問題だったのだな、と。
当たり前だけどさ。

責任を負えない状態で子供を産める状況ではないのだと、改めて思い知らされた。

ただ、でも。やっぱりまだ。
ふっきれない部分はあって。
タロウを見ていると、彼に弟か妹ができる事で成長できる部分や、補える部分や
両親が年老いた時の負担やら。
一人では可哀想だって思いが捨てきれない。

私には妹がいて、彼女がどう思っていようとも、私は自分と彼女の関係は、非常に良好だと思ってる。
私が、姉として彼女を助ける事もあるけれど、正直、私的には、妹に助けられている方が多いと思ってる。
やっぱり家族だから、友人達とはまったく別格になるワケだし。
友人達は、いつかは離れていくけれど、家族は一生一緒だし。
妹がいるってだけで救われている部分が非常に大きい。

だから、タロウにも兄弟を持ってほしいと思った。
彼の支えにもなるだろうし、彼が支える事もできるだろうし。
あと、兄弟の姿をみて、私が安心したい、という気持ちもある。

夫の弟さん夫婦のお子さんが兄弟なのだけど、とても仲が良く、
一番身近なライバルであり同志であり友人だっていう関係を見るのは
とても安心する

自分がいなくなっても、この子には、まだ兄弟がいる、ってのは
結構やっぱり、ほっとできる。

私は、子供を産んで、自分の死に対する恐怖感が変わったと思う。
怖くなくなった、というワケじゃなくて、覚悟の問題。
私がいなくなっても、この子が世界に残るのなら、それでいい。って感じ。
二人残ってくれたなら、もっと安心できるな、と思う。
まだ、私には未練が残っているので、ダメもとで。
失敗するのを前提として、あと3回だけ、AIHやってみようと思う。
3回やったら、諦める。ちょうど不妊治療はじめて2年経った事になるし。

3回という回数が、私の未練の度合いを示してて、潔くないね(笑)
未練たらたらだ(笑)