ひぐらしのなく頃に(解) 祭囃し編 その3
えーと、今、綿流しの当日、午前10時過ぎ。
お昼近いかも。という位置です。
ところで
私が初めてひぐらしを読んだのは、2004年の5月。
2年以上前だな。すげーな。< フリーゲーム紹介の「サニーガール」というサイトで、体験版として公開された「鬼隠し編」のレビューが始まった直後だった。
「鬼隠し編」をやって、あんまりにも面白くて、妹にも布教して(笑)
その年の8月に発売された『ひぐらしのなく頃に 鬼隠し~暇潰し編』を通販で買ったのが、初めての製品版入手だった。
だから、結構長い付き合いなんだな。これが。
こんな長いスパンでつきあうゲームって今までないし、これからも無いだろうし。
これで本当に最後ってのには、割と感慨深いものがある。
読み終わるまで、あとどんくらいかかるかなぁ。
んで、今のところの感想。
うーん。
なんかな。悪ふざけがすぎるな、と。
あと相変わらず文章の視点がコロコロ変わるので読みづらいし、文体が統一されてなくて、酷い。
すっごい気になったのが、大石が悩んだ末に、鑑識のおっちゃんとか部下の若いのに協力を頼むシーン。
「・・・・思ったとか思わなかったそうな。。。」みたいな文章が唐突にでてくる。
「そうな。」って(笑)
なに、いきなり昔話語り風なんだか(笑)
そいから、みんなが古井戸の横穴に隠れてて、上に残った詩音と葛西の気配が消えた時の描写で
「ある者は泣き、ある者は呆然と・・・、ある者は・・・。。」みたいなさ。
なんて言うか、唐突に「止め絵」シーンの解説風表現になるんだよね。
すごい簡単に頭に浮かぶ。
戦争映画なんかでよくあるシーン。
「ある者」って人称使うほど、無名の人たちがいるわけじゃないし、群衆シーンじゃないし。
別に固有名詞だしてもいいんじゃないの。
すごいありきたり。
なんていうのか、非常に自己陶酔型な表現方法。
「悦に入ってるな」って臭いがする。
こんな風に、文体と表現方法と語り視点が、何の前触れもなく唐突にコロコロ変わるんだよね。
読ませる側に統一感をもって文章を示せないのは、あきらかな経験不足だし、物語の読み方を学んでいないんだろうなぁ。という未熟感が、今回も非常に強いです。
人称や視点の切り替え部分に、それこそゲーム的な表現方法を用いれば、もう少し読みやすいし表現しやすかったんじゃないかなぁ。
んで、物語の中身の方。
園崎の地下から山に逃げて、沙都子トラップ炸裂!な状況です。
綿流し日に仕掛ける鷹野の罠の意味が判明したワケだけども。
うーーーーん。なんてーのか。
鷹野は本当に、本気で研究していたのか?って感じ。
梨花ちゃん殺して村人全員発狂させて、34号を発動させて、祖父の研究の正しさを実証させたかったんでしょ。
梨花ちゃんの死が村人の発狂につながると、完全に本気で「信じて」いただけなんだよね。
それに関しての研究をした経緯も、確証を握った経緯もなく、ただ「信じてた」背景だけしかないからさ。
そういうのって、研究者として致命的に愚かだよなぁ。
なんか、やっぱり嘘くさいというか。精一杯の「設定」だけ、というか。
それだけで、村人道連れにして祖父の名誉を確立しようとするには、あんまりにも薄くて脆すぎる感じがするのだ。私は。
でも、鷹野の虐殺動機が、「自分の為」ではなく、「祖父の名誉の為」だったのは良かった。
嬉々として虐殺指揮をとっていた鷹野が、実は裏組織からも追い込まれていて、もうそうするしか「祖父の名誉」を守れないきわきわの状況だったってのは、面白いと思う。
でもさ、たった一人で政界の裏に食い込み、信頼と資金を得るってのも、努力だけでどーにかなるもんじゃないよなぁ。
とにかくがんばったんだ、って冒頭の鷹野過去話では語られるけどさ。。。
祖父の知り合いに政界の裏親分がいたとしても、その人が、国を動かしてまで本気で知人の養女に入れ込むのもおかしいし。
むむぅ。。まぁ、こういうリアリティを追求するんだったら、梨花ちゃんと同じトシくらいに見えるという羽入をなんとかしろ、って事にもなるので、まぁ、もう、いいや。
マッドな祖父にマッドに染められた鷹野が、「がんばって」政界の裏にコネを持ち、巨大な資金と権限を得て、祖父の研究の名誉を証明しようとしたけど、「いろいろあって」立場が悪くなったので、伝家の宝刀とも言うべき集団発狂を起こさせて、自分を裏切った政界の連中を困らせてやるぞーって流れなのだな、と。
お魍が入江に、梨花と沙都子の二人の心配をする所は、すごく良かった。
お魍から、自発的に、沙都子への対応変化が起こされたのは、ものすごくうれしかった。
それから、診療所から逃げる入江のへたれっぷりも(笑)
ただな。やっぱり悪ふざけがすぎる気がする。
富竹が捕まるところの「チーン」って効果音も、赤坂の超人ぷりも。
そこまでやるのは、物語の志気の高揚にはつながらないよ。と私は思った。
なんで、いきなり村人の存在がかき消えるんだろう。
赤坂一人で大活躍なんて、そんな超人バトルは似合わないんだよなぁ。
あんまりにも超人すぎて、本気で引いた(笑)
赤坂一人で撃破より、圭一が皆殺し編の時みたいに、お魍をはじめ村人を説得して、村人パワーで対決した方が、なんぼか風習に縛られている雛見沢の大団円にふさわしいんじゃないかなぁ。
出題編から直前の皆殺し編まで、ほぼ一貫して圭一達のグループが、「部活」と称する活動で、それぞれの特殊能力や人並みはずれた洞察力や推察力なんてのを養ってるってのが、繰り返し語られているから、今回のように山狗っつー武装集団と対決するシーンでは、「へへっ!おまえらごときが沙都子のトラップから逃げられるわけがないんだよ!」とか「魅音の指揮官としての能力を甘くみるなよぅ!」って感じで、すっごいわくわくした。
なんて言えればよかったけども(笑)
私は40歳だ(笑)
そーゆーいかにも「見せ場でしょ?わかるでしょ?いいでしょ?」的に盛り上げられると、引くんだって(笑)
ごめん。40歳で(笑)