バタフライ・エフェクト(ディレクターズカット版)
セル版DVDでのみ見る事ができるディレクターズカット版。
これを見て、劇場版の印象がガラっと変わりました。
もし、レンタルの劇場版を見て、ディレクターズカット版も見てみたい!と思った方は、以下の感想は読まない方が良いです。
ネタバレしまくりですから。
せっかくの楽しみが減っちゃうよ
- バタフライ・エフェクト プレミアム・エディション
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- アーチスト: アシュトン・カッチャー
- 発売元: ジェネオン エンタテインメント
- 発売日: 2005/10/21
- 売上ランキング: 1593
- おすすめ度
お気に入り度:
※以下のDVD紹介内容は、過去に私が別のブログでエントリした「ディレクターズカット版」の記事内容を再編集したものになります。
劇場版より点数さげちゃいました・・・。
だって、下げざるを得ないっすよ。。母親だもん。
劇場版をみて残っていた謎は、ほぼこのディレクターズカット版で答えがでました。
【冒頭の書き置き】
これは、良く聞いてみると「タイムスリップ先での行動に失敗したら死ぬ」と言ってるのではなくて、「タイムスリップが行えなかったら死ぬ」という意味である事がわかりました。
もしこの時点でタイムスリップができなかったら、翌日病院を移転する事になるんですが、その病院では、脳の状態が思わしくないので、外科的治療開始の予感が匂わされます。
それが彼にとって、「死」に値する結果につながる、という事なのでしょう。
【ダイナマイトの導火線】
コメンタリーで観てみますと、導火線が長くなってるのは、撮影事情であって、本当に長くしてたワケではないようです。
ダイナマイトは最初から導火線が短く、ついた火を消せる選択肢はなかった、という事ですね。
【虐殺の絵】
劇場版では、タイムスリップ後、すぐに手を傷つけに行っていましたが、ディレクターズカット版では、絵を描く直前から始まります。
何か描きなさい、とせかされたエヴァンは、その時の彼の計画であるホモ囚人二人組の殺害を描いてしまうのでした。んで、描き終わってから、手を傷つけに行く、という描写になってました。
・・・・・つか、どうしても我慢ができないので、ディレクターズカット版のぷちネタバレ(笑)
劇場版では、ギリギリの所でエヴァンの貞操は守られた事になってますが、ディレクターズカット版では、処女を奪われております(笑)
さすがにその直接場面までは出ませんが、犯される前と後の描写がひどく痛々しいです(笑)ここまでやるか。すげえ。
いろんな映画配給会社から、ダメだしされただけはあると思いました(笑)
【父親死亡フラグ】
これは不明のままでした。
【7年間連絡をしなかった謎】
最初の流れでは、ケィリーは父親から性的虐待を始め、色々な干渉を受ける立場にいます。
その為、自分からエヴァンに対して行動を起こす事は絶対にできなかったのだと理解できました。
実際、父親の干渉を受けなくなったケィリーは自分からエヴァンに合いに行ってますから。
では、エヴァンは?
これは、なんかすっきりしません。
まぁ、でも13歳の男の子が新しい環境で新しい刺激に夢中になったと考えると、恋心よりもまだまだ遊びたい気持ちの方が、大きかったのか、とも思えます。
多少そういう描写があるとよかったのに。
例えば、13歳の引っ越し後のエヴァンが、ケィリーの家に電話しようとした時に、新しい友達が誘いにきて、結局電話せずに遊びに行っちゃう、とか・・。
確かに、劇場版は「せつない」系です。コピーが「せつない純愛」なのは、間違ってないです。
私が、ディレクターズカット版にコピーを付けるとしたら。
「愛になれない愛」
・・・・うーん。。。ちょっと違うな。
犠牲でも愛でもない。「ゼロ」は「ゼロ」。「ゼロ」に愛は含まれてません。
うまくできないや・・・(笑) コピーセンス無いなー(笑)
ディレクターズカット版は、確かに一般劇場で上映する事はできないラストです。
このラストが、監督達(二人で監督してます)の最初の予定であったとするならば、確かにこの話の映画化を引き受ける所は無かったと思います。
痛々しいというよりも、もっと悲痛で悲惨す。
劇場版から大きく削られていたエピソードは、このタイムスリップ能力が、「血」で引き継がれている事でした。
しかも「男子」にだけ引き継がれていく能力です。
この「血」で引き継がれていく能力を持ったエヴァンが、最後に選択した手段は、「血」の断絶。
完全なる自己否定と自己犠牲にすらなれないゼロへの回帰です。
ディレクターズ版でのラストシーン、昔のフィルムでエヴァンが見たシーンは、出産を控えた母親の映像でした。
エヴァンが死を選択する結論は、簡単に予想ができます。
でも、その自殺を、胎児の時点で選択するとは・・・・。
胎児のエヴァンがどうやって自殺したのかは、書けません。
子供を身ごもり、お腹の中で子供が育っている超音波映像を、大きな喜びで見つめた経験のある母親には、かなりショッキングなシーンです。
私も、ほんの3年前には、産科検診に喜んで通い、サービスでもらえる超音波映像のビデオを家に帰ってからも何度も夫や家族と見ていましたから、あのシーンは、正直、許容範囲外です。
痛みよりも、恐怖を感じるシーンでした。
そして、エヴァンが、第3子であった事。エヴァンの兄達もお腹の中での死産であった事。
エヴァンの兄達も、同じ選択をしたのかもしれない事を示唆させてます。
あまりにも救いがない。
自分がいなければ、自分さえいなければ、自分がいない事が、全てのヒトの幸せにつながる・・・なんて。
どうしてそんな事を結論とするのか。。。
「自己犠牲」ではなくて、「自己否定」です。
自分は産まれてはいけない、自分は人を愛してはいけない、自分は人に愛されてはいけない。
なんて結論なんでしょうね。。。
エヴァンが大きな犠牲を払いながらも、自分と自分の周囲の人々の幸せを勝ち取るかが、劇場版でした。
ディレクターズカット版は、自分を、自分の血を断絶される事が、全ての幸せになるというラストです。
なんか。もうね。
エヴァンが可哀想っていうよりも、なんかさ、もうね、ほんと、バカだなぁ・・と思いながら、涙だらだら流して「ヒィー、ヒィーッ」って泣いてる自分がいましたよ。
こんな事、あっていいわけないのです。
こんなラストは誰も望んでないのです。
全ての出来事を完全に否定した上で成立するラストなんて。
あり得ないです。
ほんと、一般向けじゃないです。
でも、そういう事を全て包括して、1本の映画を見た感想として考えると、「最悪の気分にさせられたけど、非常に面白いエンターティメントだった。」とは思えます。
んで、ちょっと思い返してみると、エヴァンがタイムスリップできる時点というのは、最初から決められていて、いつでもどこにでもってワケじゃなかったじゃないですか。
それがなんで、ホームフィルムでは、すぐにその時点に行けたのかが、残った謎ですね。
仕方がないけど、都合あわせ的な感じだったかな。