「暗闇の中で子供」:舞城王太郎

暗闇の中で子供―The Childish Darkness
暗闇の中で子供―The Childish Darkness
  • 発売元: 講談社
  • 発売日: 2001/09
  • 売上ランキング: 63638
  • おすすめ度 4.0

お気に入り度:rating_50.gif

「煙か土か食い物」の続編。奈津川家シリーズ第二弾。
今回の語り部は、三郎。

すげー!すげー!
すげーよ、三郎!あんたはプロの嘘つきだよ!(笑)
三郎は「完璧天才超速思考の四郎」とちがってうじうじ悩んでばっかだし、やる気もないし、横道それたり、回り道したり、ひらめきが無かったり、欠点の多い人間だけど、それが三郎!シュビドゥバ!って事だ!
だってラストにそう書いてあるもんね。

以下、完璧なネタバレ含みでの感想。
まだこの本を読んでない人は、読まない方が良いですよ。
面白くなくなっちゃうよ。

三郎の「三」から、Threeの章から嘘物語になってんじゃないかって気づいたのは、今朝、電車の中でした。
私のこの解釈であってるのかどうかは自信ゼロだけど、
これは嘘が得意の元ミステリ作家の三郎の物語。
答えと真実の明確な提示はハナっから期待してはいけないのだ。
だって三郎は、自他とも認めるダメ作家、書けない作家だから。

と、この解釈は自信アリ。
そーゆーのをふまえて読んでみると、えっらい面白いモノ作りやがったな。舞城め!
ありなのか、こんな小説。
出していいのか、こんな小説!三郎め!(笑)
おもしろいなー。

三郎自身が言ってるように、物語はいつも最初に真実が含まれる。
だから、この物語の冒頭は真実。
冒頭にあった真実の事件から始まって、いろいろあって、三郎は自分のダメさに真剣に向き合うと共に、それを含めて自分を愛する事ができるようになったのだ、というのが、この物語の真実なんだろうと思う。
この「いろいろあって」が、いったい本当はどんな事だったのかはわからない。
それはでも、三郎にとっては、そんなに重要な事じゃなくて、自分の弱い部分を克服できたのが重要。
やっと三郎は、三郎になれたんだと思う。

私の中の解釈では、最初っから三郎は嘘ついてる(笑)

二の腕に子宮と子供ができちゃう話も嘘。

橋本敬は、窒息死だし、犯人も一緒に発見されてるから、その後エンエン続く、怪奇連続殺人事件は、嘘。
突然、橋本敬は輪切りで殺され校庭に晒された事になってるんだもん。
これは驚いて、読み返した(笑)。読み返して、「あー、三郎の物語だったもんな。」と気がついた。
つーことは、オゾンを与えられて巨大化した子供をもつ村上先生は嘘。
だから結局、死体で遊ぶ巨大な子供と父親の連続殺人だったっつー話は、エンエンと長い嘘話。

んで、三郎が台所の床下の空間に入りたがるのは、勿論母胎・子宮への回帰願望だし、
三郎がプールになるほどめちゃめちゃにやっつけたオゾンで巨大化した子供は、三郎自身なんだろうと思う。
巨大化した子供の自分を消去した、という事なのかな。
でも、その巨大化した子供に遊ばれて傷ついた四郎の役割はなんだったんだろう。
やっぱり四郎が、巨大化した子供vs三郎の試合のゴングを鳴らしたって事なんかな。

それから、お腹からメスが飛び出したのも嘘。お腹破れてたのに入院してないし。
だから、連続腹裂き事件(慰謝料付き)も嘘。
これは何か三郎がはき出さなくちゃいけない、「何か」の明示的なモノなのでは。
「過去の遺物」=「お腹の中にメスが残されていた」って事にしているのであれば、三郎は、ちゃんと過去の出来事と向き合った事を示してるのかな。
なにかしら「出産」に近い行為な感じもしたりする。
でも、それだと「産んだモノ」=「化石化したメス」に全然関心がはらわれていないから、違うか。
ひょっとしたら重要なのは、ユリオが三郎の中をもっと見たがったという行為=「追加で腹裂き」なんじゃないかな。
ユリオは、三郎の魂が見たかった、触れたかった、という事なのでは。
ユリオは確かに三郎を愛していたんだな。

あと、母親が消えてしまったのは、どうだろう?
でもそれは、失踪ではなくて、ひょっとしたら最悪死亡したのかもしれない。
そういう意味での母親消失なのかも
もしくは、ユリオを愛した=愛する事ができた事で、三郎にとって、母親は重要な役ではなくなったのかもしれない。

それからもちろん、復活したお鍋の材料(二郎)だって、もちろん嘘。ありえない。
これは、自分の中に二郎がいて欲しいという、奈津川家一のコンプレックス持ち三郎の願望なのかも。
四郎もそうだけど、恐れながらも決して目が離せない二郎が、結局みんな好きだったんだもんね。

これから以後の物語は、巧妙すぎて、嘘だと断定できない事が増えてくる。

四郎が交通事故にあったのは本当じゃないだろうか。嘘だと思う確信がない。
でも、奈津川家で一番出来の悪い自分がコンプレックスを克服した姿を前面に出す為に、四郎は退場する必要があったのかもしれない。

オカチはどうだろう。
そもそもオカチは、本当に登場したのだろうか?
本当にオカチが四郎を三郎だと思ってはねたんだろうか。
オカチの顔の皮を剥いだのは誰?
二郎かもしれないし、二郎のフリをしていた河合兄弟かもしれないし、三郎かもしれないし、一郎かもしれない。
そもそも本当にオカチは、顔を剥がれたの?
それは、最後の最後、三郎を助けに現れる「誰か」とイコールなんだろうと思うけど、それが誰だか三郎は明らかにしない。

楓はどうだろう?
でも、楓とは再会したと思う。
楓との関係も、認めて克服しなくちゃいけない問題だし。
実際はどういう再会だったかはわからないけど、二人の再会は本当だったのでは。

んで、結局、四郎が二郎だと思っていた川路夏朗は、誰だったのか?
本当に、双子の河合兄弟のカタワレだったのか?
つか、川路夏朗は本当に四郎の前に現れたのか?

それから、地下の死体=河合一洋=女装させられたオカッパの子供の幽霊は、本当にいたんだろうか?
地下に河合一洋の死体があったのは、本当っぽい。
仮定だらけて続けてしまうと、地下の一洋の死体を見つけた三郎が、一洋を探し続ける役割として弟の陽二を登場させる為に、無理矢理川路夏朗と結びつけたような気もする。
そーすると、何で三郎は陽二に拷問されなくちゃいけないの?
それは、三郎が陽二を拷問したからでは?
陽二のナニカを奪ったから、三郎は陽二に手足を奪われる必然があったと?
じゃあ、一洋を殺したのは、ほんとは三郎?
うわあ。えらいぐちゃぐちゃになってきた。

説けそうなヒントはありそうな気がするけれど、実は三郎は「誰か」が誰なのかを「書きたい」わけじゃなくて、これは三郎の物語だから、俺は三郎!シュビドゥバ!で締めていい物語なのだ、と(笑)
推理させるつもりもなく語られているから、真実ではないし、嘘だらけだけど、嘘だけでも無い。
それでいーのだ、と(笑)
すげーーー。
なんだそりゃ!
究極の私小説で、究極のミステリ?なのかもしんない。

うん。これでいーんだね。三郎。

でも、心配。
本当に三郎は幸せかい?
夢の中にいるのではないの?
そこは現実?

来年には、奈津川血族物語の3作目がでるらしい。
とにかく、それを読まなくては!