八百屋

私の家は、八百屋でした。

父と母が結婚したと同時に開店した八百屋です。
商店街の調度真ん中で、いつもお客さんで溢れていて、とても繁盛していた八百屋です。
夕方には道路までお客さんがあふれ、お客さんの自転車が道路を塞ぎ、車が通れなくなるほど、お客さんが来てくれていました。
住まいと店が同じだったので、家の中にいても、父や母の声やお客さんのざわめきが聞こえ、いつもうるさい家でした。

父は、毎朝3時に起きて、市場に向かいます。
母は、毎朝5時に起きて、開店の準備と朝食の準備をします。

当時は母の弟の(叔父さんにあたります)秀ちゃんと、のぶちゃん(他人です)という人が住み込みで、一緒に働いていました。

子供心にも、ウチは普通の家とは違うと思っていました。
そして、それは、私の誇りでした。

威勢のいい父のどなり声、必死で働く母の姿、時々配達に誘ってくれる面白い秀ちゃん。
うるさくて、ほこりっぽくて、野菜くさくて(笑)、にぎやかな、何よりも自慢の私の家族です。

今の時代では、年末にミカンを箱買いする家なんてなくなってきてますが、私が小さかった当時は、お正月前にミカンを箱買いするのは常識でした。
お正月時期は、今と違って商店街はみんな閉まってしまいますので、その間の冬のビタミン補給として、ミカンは重要でしたから。
そーゆーワケで、年末になると、ミカンの配達が殺到し、夜遅くまで店の前には、これから配達するミカンの箱が山積みにされていたものです。

今は、元旦でもスーパーやコンビニがあいてますから、正月時期の買い物を心配する必要はないし、家庭でおせち料理を作る習慣も消えつつあるらしいし。
私が小さかった頃の、あの「年末」特有のあわただしいけど、長くのんびり休めるお正月が来る楽しみってのは、今はだいぶ無くなった気がします。